asagitti's blog

うつを,くらしを,音楽を,ファッションを,ゆるり,ゆるりと。あと猫。

6月の秋田定期通院終えてました

先日、秋田へ定期通院に行っておりました。

一週間前。

梅雨空の仙台を出発して車を走らせたら、心地よい晴天の秋田でした。

湿度がほどよい夜風。こういう天気がいいな。

 

なぜブログを更新できなかったかというと、秋田に着くと同時に風邪ひいてました。

昨晩はいい気分だったのに、

秋田のホテルで起床したら頭痛、喉の痛み、体の節々の痛み。

あー風邪引いちまった。

周囲でガラガラ声の咳してた人いたな(マスクしろー)あと過労だな

でもこれから通院ということからある意味便利?

 

うつ病の薬は変わらず、風邪薬をいただいて、服用してから仙台まで運転。

体の節々の痛みが強まり、徐々に微熱もきたなあという中の運転は難儀でした・・・。

 

あれから一週間。早期対応で劇的悪化はしないけど治んないな。

咳は喘息に移行。

自然治癒力の低下を感じております。

5月秋田定期通院。豪雨の秋田へ

秋田への定期通院に行ってきました。

主治医、無事退院。翌日から診察。ダメよ無理したら。

でも顔を見に行ってきました。

 

あらかじめ雨が降ることは予想されていたので、数時間の有給を取り早めに出発しましたが、「記録史上最多の降雨」ということで、予想を超えた旅となりました・・・。

 

東北道はずっと曇り空。「あら結構寒いな」なんて思っていましたが、

秋田道に入るや天候激変。横殴りの雨ではなく、単純に降水量が多すぎて80メートル先を行く先行車すらよく見えない。のに、北上あたりのトンネルで工事片側通行のため15分待ち。その間にもどんどん強まる雨。山道では霧も発生。

路面状況も良くないので、対向車が撥ねた大量の水たまりの水が、フロントガラス前面を覆い視界ゼロになった時は死ぬかと思いました。制限速度大事。

 

なんとか暗くなる前に着きたい。との一心で車を走らせていましたが、この間大雨警報洪水警報河川氾濫情報まで出ていたとはつゆ知らず。

 

秋田南IC以北はとうとう「災害通行止め」に。

本来降りたいのは次のインターでしたが、

秋田市に入ったからいいかーなんとかなるっしょー」と簡単に思っていたら、その後が苦難でありました。

 

(よく考えれば分かるのに!高速が止まるくらいの豪雨ならば、下道は急を要する事態になっているのは当たり前じゃないか!(翌日思い至った))

 

道は大渋滞。(秋田ではあまり見ないレベル)

そこで、私のカーナビ君が何度も「渋滞情報が更新されました。新しいルートを案内します」というので、素直な私はそれに従ったら、それまた甘い判断でした。

行く道、行く道、ことごとく通行止めになっているのです。

合羽を着たおじさんが、カラーコーンの前で「 NO」と首を降っているのです。

迂回に迂回を繰り返していたら、生活道路にまで入り込んでしまい、マジで冠水している路面に出くわすこと数回。怖い。

 

(よく考えれば分かるのに!一つの道が著しく混んでいるということは、その道しか安全に通行できないってことじゃないか!)

のちのニュースを確認すると、ちょうど私が到着した前後に雄物川が氾濫していました。土地勘のないところで迂回ルートなんて通るべからず。

 

さすがの私も「やばい」と感じたため、かなりの時間をロスして秋田駅近くまでたどり着き、目についたコンビニへ。水と食べ物買っとこう。これはやばい。と思ったら、時すでに遅し。

パンとおにぎりの棚、空っぽ。

ああ。悪天候ではない、これは災害だ。ようやくことの重大さに気づく。

 

 

ホテルに着いたら、秋田新幹線こまちも止まった影響で、サラリーマン風の人たちで軽くごった返していました。宿泊場所が確保できなかった人もいるのではないでしょうか。

ホテルのテレビで情報を確認しようと思っても、どのチャンネルもキー局のどーでもいいバラエティなんかばっかりで、テロップでローカルな地名が連ねられた「避難準備情報」が流れているのみ。一体どこだ?

何もわからず、見通しも立たず、大変閉口いたしました。

NHKですら楽天の試合始めるし。画面の片隅で降水レーダーの画像見せられても「なんかすげえ」くらいしかわからないし。

東京で同じくらいの降水があったら大騒ぎでしょうに。

まとまった情報が得られたのは結局ツイッターでした。

道路、河川、土砂災害。それぞれ管轄が違う個々のサイトを見てもわからん。

悲しいかな、これがこの国の過疎地の現実。

 

本題の診察ですが。

昨年度末から、ずっと多忙感が続き、体調も下降傾向にあることをお話しし、少しだけ薬が増えました。後、薬が一包化に戻っちまいました。

体重の減少、食欲の後退に加えて、朝の倦怠感がどんどん強くなる一方で、今、目が覚めてからベッドをエイっと出るまでに1時間弱。体が動かないのです。

(倦怠感というと軽い感じに思えますが、うつの怠さや倦怠感は、体感で地球上の重力が5倍くらいに上昇した感じになります。息も苦しい。)

その代わり、夜はだんだん楽になってくるので、つい捗っていない仕事に手をつけてしまいます。そして悪循環は続く。少なくとも昨年の3月から、時間外勤務が2〜3時間、下手したらそれ以上、が常態化しています。よくいるダメなうつ病人です。

 

アドバイスは、「早く帰って、早く薬飲んで、早く寝ろ」。

頭のモーターが冷める時間を早くする。大事なのは夜の過ごし方、とのこと。

制御機能が壊れている私の脳は、ミニ四駆のモーター級の作りだなあと改めて痛感。

 

ただ、今はめちゃ忙しい時期、ポジション、なので、ちょっと仕事の進め方を考え直さなければいけません。いかに効率的にするか。そこらへん、最近甘く見てサボってた。

 

あとは、前回行った違う病院で診て頂いた先生の話を、「合う感じ」だとお話ししたら、主治医にこう言われました。

「俺がダメになったらその先生にお願いするから。よかったーーーなんだか箱入り娘がようやく嫁に行く感じだわーーー(安心感丸出し)」

私、そんな厄介な患者かい!心配かけまくりかい。まあそうだな。

 

主治医の病は続く。私の病も続く。それを多分お互いに受け入れているのでそんな「俺がダメになったら」「いやギリギリまでは秋田に来るから」なんて会話もできるんですが、そんな日が来ないことを祈りつつ、でもそんなひどい会話もするのです。

 

主治医曰く、そんな淡白な会話ができるのもうつ病の患者の特徴で、客観的に見て興味深いそうです。他疾患の方は結構突っ込んで確認したりするそうですよ。

うつ病の人、自分のことでいっぱいいっぱいになっているからかしら」とのことで。

まーーね、心配していないことはないんですが!

当事者としてわからないこともないわ。うつ病の人は、生きる上で、いかに「心を動かさないか」ということに重きをおいて進んでいるような気がします。なかなかうまくはいかないですけどね。

 

帰りは、行きの教訓を胸に!!ちゃんと直前までネットで道路情報を確認し!国道目指して走り!無事に帰宅です。

 

次はまた来月に。

 

アベフトシ。

命日でもなく、なんのメモリアルな年でもなく、でもずっと頭から離れないからアベのことを書く。

 

先日つんくがテレビで言ってた。「90年代後半、音楽業界はどんよりとしていて、バンドブームも終わって、時代も閉塞感があって」と。

 

アレ、ずいぶん私の記憶と違うな、と私の音楽史(笑)を紐解いてみたら、そこにはどーんとミッシェルガンエレファント がいた。

THEE MICHELLE GUN ELEPHANT

あれから、ずっとミッシェルを聴いている。

 

年がバレるけどもその頃私は大学生。お金はとにかくなかったけど

バイトしてはライブに行って、モッズスーツとマーチンに憧れた。

幸いにも(?)東京発の情報が仙台に届くのはタイムラグがあり、ほんの少しの間だけど小さなハコでミッシェルのライブを聴けた。すぐに前で聴いてたらモッシュで死にそうになるようになり、どんどんキャパも大きくなったけど。

(そうして仙台メッセだかワッセだかの、振動で照明落ちそうライブ中止事件も起こる)

 

私のミッシェルとの出会いは「ハイタイム」。のめり込んだのがやっぱりの「チキンゾンビーズ」。熱狂の「ギヤ・ブルーズ」。

私のミッシェルガンエレファントは、アベフトシのギターそのものだった。

ガリガリのカッティングとチョーキングとリフ。唯一無二のリズムギター。あのステージでの睨みと佇まい。仁王立ち、そして吠える。

だから、ミッシェルの音楽性が変わって行った、ロデオタンデムビートくらいに離れて行ったよくあるクチ。

今、落ち着いて聴いてみたら、それだけではないのにね。

 

でもミッシェルの解散は衝撃で(あるかもとは思っていたけど)「エレクトリックサーカス」が悲しくて。

 

そしてアベ逝去の報には言葉を失った。

 

今もネットにはアベの情報がある。「伝説のギタリストまとめ」「アベフトシ名言」

伝聞の伝聞のそれまた伝聞みたいなもんばかりで。

 

伝説なわけがあってたまるか。

確かに実在したギタリストじゃい。忘れられないバンドマンじゃい。

だが、後を継ぐ音を鳴らせる人は私はまだ知らない。

 

ミッシェルの終わり方も、その後の彼の身の振り方も、そして死に方も、いくらでも美化できそうなもんだけど、いちファンとしては、泥酔してコケて頭打ったとか、そういう間抜けなものであって欲しい。

 

ロッキングオンジャパンの、The Birthdayのインタビューでも(山崎洋一郎が、絶対故意に)アベの死についてチバ に投げかけたのに対して、(「アベくんだってもういないわけだし。いなくなるなんて思ってもみなかったのに」だったか)

チバが「うん……………あのバカ(笑)」と言っているように。(チバは何を思ったんだろうね)

 

もともと寡黙な上、音楽誌のインタビューでたまに喋っても嘘かホントかわかんないようなもんが多かったし、

実際のところは、残っているDVDや音源の彼のギターと対峙するしか術がない。

幕張のDVD(ファイナルのライブ)は辛くて今も買えない。

 

私の人生そのものはところどころ断絶しているんだけど、

好きな音楽を並べてみたらそれはそれは幸せなもので、雑食だけれどもリアルにたくさん聴けたのは自慢でしかない。みんなそういうもんかな。

 

懐古趣味に浸ってるんじゃなくて、真面目に思うんだ、今の時代、今だったら、アベさえ生きてたらもっかいミッシェル聴けたんじゃないかって。

 

頑固職人のようにバンドマンであることにこだわり、自分のギターはミッシェルだからこそいいんでしょう、ほかのバンドではダメでしょうと言い切り、事実そうであり(コオロギなんて最たるもの)

でもプレイスタイルは変えられずにギターを鳴らす居場所を探し続けたアベ。

もう少し時間があったら、もう少し自由にギター弾けたんじゃないのって。

 

死んじゃダメだって。

 

アベ追悼の企画はあれからもいくつもあったけど、一番愛を感じるのがこれ。

アベフトシ THEE MICHELLE GUN ELEPHANT (初版限定ポスター付き) (Guitar Magazine Special Feature Series)

アベフトシ THEE MICHELLE GUN ELEPHANT (初版限定ポスター付き) (Guitar Magazine Special Feature Series)

 

 ギター専門誌だからか、アベが真摯に答えている。

チバもアベの愛機持ってインタビューに応じているが、私はシナロケの鮎川さんのインタビューがぐっときた。チバがしょげてるくだり。

オタクとしてはね、機材やアベ自身の手がギターをグリップしているのをまじまじとみられることもありがたし。

 

奇しくもアベが死んだ年に私はうつ病を発症、いまに至る。(直接の因果関係はない念のため)

 

今、アベのギターはどんな音を鳴らし、どんなリズムを刻むんだろうね。

そんなことを思えるのも私が生きているからだ。

 

 

Hei祭りvol.2 Hei Tanaka/トクマルシューゴ2018/5/2@渋谷WWW

https://www.instagram.com/p/BiRR9EkAQfi/

ずっとライブに来たかった!Hei Tanakaのライブに行ってきました。

7インチシングル「やみよのさくせい」のレコ発ライブ。

ソノシート、カセットテープ、そしてやっと7インチ。やってくれるぜ。

 

入場列に並んでいたら、普通にドラムの池ちゃんが会場に入って行きました。

知り合いに声をかけられ、「○○という名前で入れてね」のお願いに二つ返事でオッケーしていました。お、大物感。入場したら、DJが本日の主役、田中馨なのも、すごく「らしい」。

 

トクマルシューゴは「Hei TanakaというのはHei Tanakaという概念の塊で、僕たちはその生贄です」とわけのわからないことを言っていましたが、わけがわからないようでわかるわかる。

トクマルシューゴのライブについても書きたいことはいっぱいありますが、「ゲスト」として田中馨が一曲トクマルバンドにベースを弾きにきただけで、バンドのグルーブがガツンと変りました。

大好きなベーシストだなあと改めて感じる。

 

そんなHei Tanakaのライブ。

前回見たときより、格段にバンドとして進化していて、楽しいったらなく。

楽しさの表現としては稚拙ながら、楽しいったら楽しいったら楽しいったらなく。

楽しすぎて泣けてくるライブでした。

こんなに心が動いたのはいつぶりだろう?

 

あだち麗三郎さんがバンマスっぽいことしてる?

楽器のセッティングの時、ドラムの調整もしていたな、さすが。

あと、なんとも形容しがたいあの衣装は一体何をイメージしているのか?

各々が原色の派手な色のジャージを着ていましたが、水平帽?なぜギターの牧野さんだけ、80年代アイドル風なのか?(おしゃれ?な柄シャツとなぜにオールバック)でもそんなことは置いといて、あれで体が動かないわけがない。そんな演奏でした。言葉にできないぜ。

「やみよのさくせい」では田中馨がヴォーカルをとっているのですが、もちろんベーシストが本業の彼は歌がうまいというわけではないのですが、(ごめんね)何か、たくさんの要素が絡み合って、彼の歌はダイレクトに心に響く。小鳥美術館のカバーも好きだな。

 

前回のライブでは、ベースラインを追って聴いていたような気がするのですが、今回のライブはバンドの音全部が身体に響きました。

後半は、「純主観シューターズ」を「もっと主観にする」とのことで、各メンバーイッテQみたいなカメラ頭に付けて演奏していました。

 

あれはどうなるんだろう。(私映ってませんように)


Hei Tanaka 純主観シューター(ズ)Vol.2 コテツ/小暮哲也

終わったら、爆音で耳が聴こえねえ。

もちろん7インチ買って。

むかーし断捨離したレコードプレイヤーを、この為に買うかもしれない。

持って帰ってくるとき少しクシャってなった。

https://www.instagram.com/p/BiTvTS-A3A2/ 

ライブ終わり。

田中さんにサインをもらいました。彼は、あんなにすごいベースを弾いて、ステージではネジが飛んだようになっているのに、(ごめん)必ずしっかり目を見て「ありがとうございます」と言ってくれる。

 

トクマルシューゴのあとのDJをしていた角張社長ともちょっとだけお話させてもらいました。

実は以前、カクバリズムの通販で、いつまでたっても商品が送られてこなーいトラブルがあり、「もういいどす(怒)」というメールを送ったら、通販担当者からは「わかりましたキャンセルですね」というメールがすらっと返ってきたのですが、

 

その夜私の携帯にいきなり角張社長自ら電話をかけてきてくださり、なぜか角張さんが怒っていて(笑)謝罪と商品はとってあることと、ことの経緯を説明してくれて、オマケどっさりつけて送ってくれたことがずっとありがたく、心に残っていて、そのお礼を機会があれば伝えたいと思っていたのです。が、

彼はいい感じに酔っ払っており、「あーあの頃は大変だったんすよーまーたご指導よろしくお願いしますーーーー」と例の語り口。(営業C調)伝わったかなあ。

心にずっとあったものを言えてよかったです。

キセルの友晴さんもライブ見にきてましたね。

ライブ後普通にベンチでおしゃべりしていましたが、そういう雰囲気もまるっと好きだなあカクバリズム。と思っております。

 

アフターパーティーはさすがに体調を考えていけなかったけど、

いい夜だった。 

今月はいつもとは違う病院へ。

主治医急病につき、今月は地元の違う病院へ行って来ました。

とは言っても、主治医がかつては勤務していた大きな精神科病院で、私にとっても入院したこともある馴染みのある病院です。

予約の電話を入れたら、主治医がもう先生を指定しており、問答無用で担当の先生が決まりました。

曰く、主治医は病床から非通知で直接担当の医師に連絡してくれたらしく、今日担当してくれた先生は「面倒見のいいことだねえ」とニヤリと言っておられました。

 

今回は、薬は変えず、できるだけそのままで。

昨年度末から、どうにも精神的負担が大きく、不眠や体重の減少、頭痛などの精神症状が出ているのですが、今回は抗不安薬などの投入は見送りました。

 

秋田のクリニックが再開したらすぐに行きます。

とは言っても今後は不透明です。

秋田のクリニックが再開しなければ、今回の病院は平日の診療しかしていないので、時間病気休暇の申請なども考えなくてはいけません。自立支援の申請も変えないと。

 

薬はできるだけどのままで、というのは、「抑肝散陳皮半夏」(漢方)がなく、「抑肝散」しかなかったのです。薬剤師のおじいさんに、「陳皮半夏」との違いは?と尋ねたら、「さあ、よくわかりません」と。薬剤師!!!Google先生の方がよっぽど為になるわ。

 

何より精神科のかかりつけ医に代わりなどおらず、私の病歴や投薬歴、思考の傾向、生育歴など全て把握しているのは秋田の主治医だけ。

人の代わりなんていないのですよね。

 

困難なことは、人にとっても自分にとっても同じ量。

頑張らないとなあとぼやきながら、朝イチの診察を終え、コーヒーを飲んで職場へ

とぼとぼ向かいました。また有給が減っていく。

 

絵に描いたように良くなるうつ病なんてないね、つくづくないね。

4月秋田定期通院終わり。

4月の定期通院に行ってきました。

3月も行っていましたが、3月は心身共にへとへとすぎてブログ書けませんでした。

今月から車での通院となりました。

やはり、疲れはしますが車で行くほうが楽です。時間に追われることがないので。

 

3月の繁忙期からほぼ休めず4月の新年度にそのまま移行し、

4月の人事でかなりナルシシズムの強い、テンパると誰彼問わず怒鳴るような人と近くに配属されてしまいました。

年齢的にはかなり上なのですが、プライドは高く、でも仕事(実務)はできず、巧みに他者のせいにして被害者側に立つことが長けた方で、怒鳴る騒ぐ突っ走る、つまり、一番うつ病の人間のそばにおいてはいけないタイプです。(笑)

この人事はかなりありえないし、実際に管理職に抗議してくれた方もいたり。

 

私はもう、これ以上うつを悪化させる時期を迎えたくないのです。

何度落ちても同じくらいの辛さが待っており、それがどのように心身をどのように蝕むかも経験で知っている。

しかし、容易に何度でも落ちることができる奈落。

それが口を開けて待っている。

 

そんな不安で最近食欲がなくなったり疲労感が抜けなかったりしているのですが、

まあ、主治医から言われたことは「困ったら上司」「相手にしない」「戦わない」「受け流す」「距離をとる」です。それしかないですよね。

 

新年度に入る前、ベテランの職員が当該彼女に、厳しく言動を注意したそうです。

彼女は泣いて「私は誤解されている」と訴え、昨年度彼女と組んだ人に彼女は泣きながら「私はそんなにダメでしたか!」と訴えに来たそうですが、(50代半ばが泣くな。しかしそんだけ感情の起伏が激しい証。)

言ったこと、やったことを具体的に挙げて諭したようで、彼女は私に「昨年度はすみませんでした」と謝りに来ました。(何度か怒鳴られたり、嘲笑われたりしたが私だけではない)

 

しかし、人は、特に年を取れば取るほど変わらないことは知っているので、

無傷で切り抜けることはできないと覚悟しながら、

そんなくだらないことで潰れたくない!ので、自分を守ります。

 

自分を守ることで、他の人に負担をかけていることに心が痛いんです。

でも、今私が潰れると困る人がいるので、私は潰れません。

 

愚痴ブログになりましたが、常にうつの奈落に落ちる恐怖と隣り合わせでいる境遇に、私は改めて自分の精神障害を感じています。

 

“オッケーよ”なんて強がりばかりを僕も言いながら

本当は思ってる 心にいつか安らぎは来るか?と

     小沢健二 「さよならなんて云えないよ」

 


小沢健二 - さよならなんて云えないよ

 

2月秋田通院終わり。

今月の通院行ってきました。今日も日帰り。

昼間の秋田新幹線は満員で、なぜか皆大曲で降りて行きました。

何があったのだろうか。

 

今月の診察。概ね精神状態は凪。減薬作用ももうありません。

減薬したおかげで、今まで異常値を叩き出していた肝臓と白血球数の値が正常値になりました。!なので、また一歩減薬しました!が、

私は心が揺れた出来事を忘れない限りは主治医に全部話すことにしているのですが、(心が揺れたってなんか美しすぎるね、要するに抑うつ状態になったことなどです)

こんな話をしてきました。

 

同僚に「自律神経失調症」の方がいます。昨年まで休職後の復職プログラムを受け、職務に復帰した方。しかし、実際どうなのかというと、抜け殻。

勤務時間中に寝ていることが多々あります。

仕事はごく最小限に割り振られているのですが、当日になって「できない」と言ったり、大事な仕事の当日に突然休んだりします。それでも周囲は責める事無く、自分の仕事の時間を割いて話を聞いたり、仕事を代行したり、サポートしていました。そんな一年。

しかし、今は年度末。

来年度に向けて、作らなければいけない書類が多々あります。立案しなければならない計画があります。

彼女は、それを知った時(何十年もやってるんだから知らないはずがないと思うので、「自分はやらなくてもいい」と思っていたのかもしれません)

「本当に作らなければいけないんですか」と周囲にしきりに尋ねて歩きました。

もちろん、周囲の答えは「それは責任を持ってすべきだよ」と。

ちなみに、彼女がなすべきことは周囲の3分の1ほどの量です。

そうしたら。

翌日から、「二ヶ月の病休」。

二ヶ月。

ちょうど来年度に向けての書類が終わり、年度始めの繁忙期も終わり、そして復職したらボーナスが支給されるちょうどいい期間。

そして、周囲は、彼女のやっていたことを皆背負うことになりました。

私もね。彼女は、さっさと自分の荷物を引き揚げたので、一緒に組んでいた仕事の資料などもなくなり混乱。

 

以上のような一連の出来事で、私は抑うつになりました。

そして、解せないのです。アレなんで私がうつになってんの。

同情はしてない。怒る元気はない。あんな仕事はカバーできる。ただ理解不能なだけ。

しかし抑うつ状態が結構続いたんです。自分が不思議でした。

 

なのでなぜなのか主治医に聞いてみました。

そしたら、「自分のカリカチュアを見てるんでないの」と。

つまり、私自身の、後ろめたい部分?が強調されたものをなんでか彼女の中に見てるんかなと。

 

ああ、そうかもと思いました。

 

私は仕事中に寝ることができないし、丸投げドンで休むことはできないし、むしろ他者に任せることができずに走り続けて自滅するうつなのです。

 

が、今まで、主治医により診察即病気休暇命令でデスクをそのまま、更衣ロッカーさえそのままで職場としばしオサラバすることがあったし、

急性期病棟に入れられて管理職に「自分に都合よく休んで」と聞こえるように陰口言われたこともあったし、

復職後、思考運動停止が顕著な時期には、本務はできるけど付随する事務的なものや時間外の勤務ができず、「できること」と「配慮してほしいこと」を診断書にしたためてもらって管理職に直談判したこともありました。

「仕事は本務だけじゃないから、できないのは適性がないということでは」と言われたことも。

 

もちろんそのしわ寄せは、他者に行っていました。それは私のせい。

 

なのに、私は彼女を認めないのか?

いやしかし、認められないでしょう。お互い不幸になる。なんのために仕事をしているのか。金ではない、大事なものを大事にすべきなのに。

でも精神疾患の痛みを知るのは当事者であるはずなのになぜ?

 

そんなぐるぐるがあった。

 

でも、主治医の一言でその螺旋から抜けられたような。

「病気を商売にしちゃいけないよねえ」

 

そうだよねえ。

 

私は違う。私は進むよ。(多分)

 

で、今日から調剤薬局を変えました。

したら、その調剤薬局さんは、土曜日は薬剤師が昼過ぎに退勤するそうで。

困ったなと思ったのは束の間、なんと電話で薬剤師さんを呼び戻してくれました。

待ってる間、飴ちゃんもくれました。

秋田あたたかい。ビバ秋田人。

自立支援医療の薬局の変更に行かなくては。

 

来月は、薬剤師さんがいる時間に出動すべく、泊まりで向かいます。

ちょっと金銭的に負担はかかるけど、金曜日まで働くとちょうど体力気力の限界が来るので、午前の新幹線に乗るのは厳しいと判断しました。

 

来月は、もう少し減薬が進むかな。焦らずいきます。