手を伸ばす前のまわり道

うつ病のこと、猫のこと、大好きな音楽のことの雑記です。

平成から令和へ。

元号などに興味はないし、それが私のなんらかの区切りになるとも思えないが

私は昭和の終わる頃、生まれ故郷の北海道を離れてここ仙台に来た。

 

誰よりも大切な、親代わりとも言える祖母、祖父と離れて。

「ばあちゃんに会いたい」と泣いてばかりいた気持ちは、今でも私の胸の中にいる。

 

私にとって「平成」は・・・苦しかった。

学校では絵に描いたようないじめに遭い、

そこを離れれば家庭内の問題で何度でも踏み潰され、行くところなどどこにもない。

 

環境が変わっても、進学しては吹っ飛ばされ、奨学金を受ければ罵倒され、大学受験票は一度捨てられた。父方の祖母の言葉は、今思えば認知症の症状だったんだろうが、「あんたなんていなければよかった。」

でも、学校や社会では「悩みがなさそうでいいね」そう言われる歪んだ子供時代及び青年時代。いつの間にかそういう生き方しかできなくなってたのだ。

 

肉親への憎しみは深いほど同時に自分の心を殺す。

人間は生まれながらにそうできているようだ。だから、私は幼少期の記憶の一部を自分で消去することとした。だから、悲しくなどない。

 

よくわからない表現で申し訳ないが、私にとって、北海道を離れてからの日々は、苦しかった。でも、負けないと決めていた。左右されてたまるものか。

今でも夢に見て、何度でも関係者がこの世にいないことにほっとするというのに。

 

今は、そこのところが私の「 PTSD」及び「うつ病」の根っこだと理解しているが

人は生まれ直すことはできないから。

 

精神科のお医者さんに生育歴をお話しした時、「なんでグレなかったの。なんで道を踏み外さなかったの。」と聞かれて「音楽」と答え、半ば呆れられたがそれは本当。

音楽を聴いている時だけ泣くことができたのだ。

以下。これがなかったら私はここにいない音楽たち。

 


たま 石川浩司転落事件 さよなら人類

 


スピッツ / 青い車

 

 


ここで確かに / AIR

 


〝永遠なるもの(管弦楽器編)〟 中村一義

 


望みの彼方-GRAPEVINE

 


SUPERCAR - PLANET (LAST LIVE)

 


フジファブリック (Fujifabric) - 若者のすべて(Wakamono No Subete)

 


[LIVE] TMGE - CISCO~G.W.D.~中断 (FUJI ROCK '98 in TOKYO)

 


ベガー/キセル

 

挙げればきりがないのでこのくらいで。

上等なものでなくていいので、新しい時代が本当に来るならば、平穏に。

新年度。

新年度、明けてもう半月経ちました。

と書いて自分でびっくりするほどの時の流れの速さに翻弄されています。

今年度、環境と人に恵まれたと思います。稀有な環境です。

 

私の弱さ。私の障害。私のうつ病

 

自分から不幸を求める認知・思考の歪みがあるのでしょうか、

はたまた、年度を休みを取れずにまたぎ、疾走したまま新しい環境に身を置いた疲れからでしょうか、

なぜだか体調があまりよくないのです。

嫌なことを自分で探しながら歩いているのではないか、と思うことしばしば。

必要もないのに嫌だった過去の記憶を反芻していることもしばしば。

これは一体なんなのでしょう。

眠れば毎日のように悪夢を見ます。はっと起きて、二度寝したらまた悪夢を見ます。

十数年も、下手したら何十年も前の辛い記憶だったりします。

今朝は、「高速道路を走行し始めた途端、警察に止められ制限速度20キロオーバーで罰金」という、自分でも「なんじゃそりゃ」と思うものでした・・・。

 

だいたい年度の切り替わりはうつが悪化するのですが、

自分の脳が必要もないのにわざわざ悪化させているようで、我ながら呆れます。

 

今日は、満開の桜を見てきました。(仕事でですが)

まだ、美しいものをみて「美しいな」と思う感性は戻らず。

でも、北国にも春は確実に訪れています。花粉もね。


くるり - 春風

春というとくるりの「春風」が頭の中に流れます。

MV、ショートバージョンしか公開されていないのは、非常に勿体無い。

 

 

 

ほぼ半年ぶりの秋田通院

ほぼ半年ぶりに秋田に通院してきました。

主たる目的は障害者手帳更新のための診断書をいただきに。

平成30年度お世話になった仙台の先生では、これまでの治療の経緯が分からないため、秋田で書いてもらってきてね、と行ってきました。

ついでに、新幹線を使った日帰り弾丸通院をし、2019年度の通院先をどうするか模索してきました。

 

2018年度は、仕事の面で悉く試練の年でした。

秋田への通院は、泊を伴っても無理、という体調でした。

 

来年度はどうやら(楽観的思考ながら)少し余裕をもてる気がしてきたので、

有給を取り、疲労回復の予備日も設けつつ、日帰り通院してみました。

どうにか行ける気がしてきました。

もちろん、交通費はネックとはなりますが、いつか寛解を迎える日をのんびり夢見て、秋田での通院を再開することとしました。

 

仙台での通院も、なにも不満はないのですが、(交通費が高額にならない!)

強いて言えば平日しかやっていないので、有給がどんどん減ること、

あとはここまでの治療歴をよく知ってくださる先生に診ていただくことが、もう一度必要だと思い決めました。

時間的に無理なくかかれる自立支援医療適用の薬局も見つけられたので、やってみます。

 

今は、年度末〜年度始めの変化と忙しさにより体調はあまり良くないですが、

こういうのも、毎年恒例ね、と受け止めることができるようになり。

 

秋田は思ったより暖かかったです。

 

秋田の主治医は「おお久しぶり」と迎えてくださいました。

なんでか「早く治さなきゃな」と思いました。

明日をもって平成30年度終わり。

来年度はどうかいい毎日になりますように。

 

 

3・11

3・11

私は海辺の町に勤務していた。

奇しくも初めてのうつ病から復帰してわずか2日後。

今思えば未だ極期の最中とも言える体調で、復職は早すぎた。

14時46分。

揺れ始めてから程なくして明らかに異常だという判断で建物の外に出た。

頭の中は至って冷静であったつもりだが、寒さを感じなかった。

 

古い建物は今にも崩れ落ちそう、天井が崩れコンクリート片がボロボロ落ちてくる。道幅は人が二人ギリギリすれ違えるくらい。樹木はクッションになるだろうか、凶器になるだろうか。だが窓ガラスが降ってくる恐れがある。

その場に立ち尽くす人に頭を保護してしゃがむよう指示したが、建物の中に入るよう指示した人もいた。今も正解はわからない。

落ち着くよう、敢えて走らせずに整列し、点呼をした。

海辺の町なので訓練通り住民は慣れたもの。

すぐに引き渡しに来る大人たちがいた。

 

宮城県沖地震」を経験した年代の人に聞いてみた。

「これが宮城県沖ですか?」

答えは「こんなものではないよ。」どう言う意味だったのかは今も聞けないまま。

 

ポケットに入っていた水性赤ペンと何かの書類の裏に引き渡した人の名前を書いたが、降る雪で字が滲み、すぐに使い物にならなくなった。

半数近く引き渡したろうか?三分の一くらいか?

今まで聞いたことのない轟音がした。地が揺れた。

町が黒い渦に飲み込まれていった。黒い渦は廻る。家が、道が、木々が、黒く覆われくるくる回る。

津波だ。

現実味はまるでなかった。だが、初めて自分の足が震えているのに気付いた。

 

「なぜ引き渡した。」

 

近くの火力発電所が爆発した。煙突が折れて炎が吹き出す。止まない爆発音。

「家にお母さんがいる」、「じいちゃんがいる。」泣き出す人たち。

「今は泣くな、大丈夫だから。泣いてはだめだ」集団パニックを防ぐため、だが、

何が大丈夫なものか。

今でも思う。

何が大丈夫なものか。

 

その後の記憶は、途切れ途切れである。

多くの人が言う、満点の星空を私も見た。数時間交通整理していたから。

ただ、繰り返す爆発音と炎とともに、透き通った星空を。

 

8年という時間もあるだろうが、私の記憶に何かが強制的に蓋をした。

 

あの時、忘れてはいけないと思って書いていたブログは今はない。

 

あの時、個々がそれぞれの場所で見たもの。

 

あの時、苦しんで亡くなっていった人たち。

 

誰かのために走り回って死んでしまった人たち。

 

希死念慮すらあったのになぜなのか生きてしまった私。

 

「復興」とか、「前へ」とか、そう言う言葉で埋められないもの。

 

時は流れた。

 

あの時小学校六年生だった子供は今年成人式だ。

私は言いたい。忘れていいから。背負わないでいいから。

 

でも、敢えて辛い気持ちを引き出す授業をなさっている先生の実践を見て、真似できないなと思ったこともあった。

とどのつまりが、私自身がまだ向き合えていないんだろう。弱いものだ。

 

宮城県沖」や「チリ地震津波」で無事だった高台に設けられていた避難所まで津波が来て、多くのお年寄りが跡形もなく流された。

自家用車で避難中津波に巻き込まれ、車ごとゴロゴロ転がったが電信柱に引っかかった。でも、窓からおばあちゃんだけ流された。手を握っていられなかった。

電線に人がぶら下がっていた。

物置に、大量の瓦礫と一緒に人が流れてきた。みんなで毛布を持ってきて温めたけど、亡くなってしまった。

津波で流された人が見つかったんだけど、喉まで砂が入っていた。

 

みんな、子供達から聞いた話だ。

 

そんなものを見てしまったのか。

私にさえ、ずっと黒と灰色の景色しか見えなかったのに。

 

他にも、土葬せざるを得なかったご遺体を、掘り起こして火葬するという、壮絶な、大切な仕事を成し遂げた地元の葬儀社の社長が書いた本も読んだ。

 

やっぱり思う私は失格だろうか。

忘れていい、背負わなくていい、進んでいい。

 

人の強さを知った。弱さも知った。狡さも知った。格差も知った。優しさも知った。

あの時、人は総じて笑顔を浮かべて会話をした。

それを見てある評論家がテレビで言ったことを覚えている。

東北の人は自己主張しない。笑顔で濁す。いかにも日本人的だ。

バカタレが。

あの時は、一人一人が、笑顔で関わりをもつ事で自分を保っていたのだ。

後にも先にも、道ですれ違った人と「大丈夫ですか、ご飯ありますか」なんて会話をしたのは初めてだ。

何日経ってからかはわからないが、家に帰ることを許され、帰ったらドアに付箋が貼ってあった。管理会社から。

「ご無事ですか。怪我はありませんか。今の状況を教えてください。」

「無事です。今帰宅しました。明日は仕事に行ってきます。」とメモしたら、翌日「気をつけて、無理しないで」との返信が。

 

醤油差しとごま油、観葉植物各種とテレビが吹っ飛び、部屋は中華料理の匂い。。。

床に散らばる本。大型本の破壊力はなめてはいけない。

土と水類から何とかすべく、土足で割れた鉢やガラスを踏みつつ片付けを続け、テレビ繋いだらこれ。

https://www.instagram.com/p/0EsyxppbJo/

 

【結論】液晶の中央が割れたテレビは、テレビとしての役割は果たせない。

 

ここも格差なんだけどね、仙台市中心部で普通にテレビは買い換えられたんだよ。

あの時、久しぶりに温かい親子丼を食べてびっくりした。

そして、黒煙をあげる町へ車を走らせる。

逃げてくる車両を見送りながら。

 

そのわずか4ヶ月後、私は精神科病院の急性期病棟に入ったんだけどね。

キセル 20th anniversary year of kicell「キセルのことはじめ」@青山・CAY

https://www.instagram.com/p/BtscTFzFx47/

本当に、突然告知されて突然発売された、本当に久しぶりの東京でのワンマン。

チケットが即日sold out したかと思えば追加発売され、立ち見発売され、youtubeライブ配信ということにまでなったキセルのライブ。配信かい!とは思ったけど、みんなそれだけ待っていたんです。キセルのワンマンを。

キセルのことはじめ、私のライブはじめ、行ってきました青山CAY

配信の都合上なのか、ステージは最小限のスポットのみ。客席はほぼ真っ暗。

 

登場まもなく演奏された「ビューティフルデイ」に涙しそうになりました。

ずっとライブに来たかった!!!!!

 

今年はキセルの結成20周年アニバーサリーイヤー。楽しいことがたくさんある一年になりそうです。

ステージは写真のようにキセル二人セット。キセル二人だけのワンマンって、どれくらいぶりだろう?と考えても思い出せませんでした。しかも、ついこの間15周年を祝ったばかりな気がする・・・!もうない、渋谷AX...!

 

キセルの真骨頂は二人セットにあると私は思います。

それは、私が好きになったのがカセットMTRキセルの音楽だったと言うことも大きいのですが、カクバリズムに入ってからキセルは「音楽的体力」をぐんぐんつけてきたように思うのです。音源の作り込まれた音を、ライブアレンジがぐいぐい超えていくんです。私がキセルのライブ、特にワンマンへ何が何でも行くと思うのはそう言う理由からで、ライブで聞いたキセルの楽曲は、その時にしか心に刻むことができないんです。

 

それが、二人セットのアレンジだと、音のすきまがぐんぐんキセルの良さを際立たせていく。宅録ミュージシャンであった彼らが私は大好きなんですが、私はライブミュージシャンとしてのキセルが本当に大好きなのです。

もちろん、北山ゆう子さんやエマさん、野村卓史さんの絶妙なサポートも好き。

 

今回はライブの序盤で、最新のアルバム「The Blue Hour」の曲と、初期のアルバム「夢」の曲が続けて演奏されました。The Blue Hourはキセルが「バンド」として作ったアルバム。「夢」は宅録キセルのアルバム。その曲が、例えば「富士と夕闇」と「火の鳥」が、何の違和感もなく(!)ライブを作っていることに、うまく説明ができないんですが私は本当にキセルを好きでいて良かったと本当に本当に思ったのです。

 

昨日のライブはまだアーカイブに残っている様子。

聴く時は、オーディオ環境を整えて聴くことをオススメ。

昨日の音は本当に良かったから。

 

アーカイブが残っているうちに味わおうと思いますが、ライブっていうのは本当に生き物で、ファーストインプレッションが一番心に残る。私はライブで聴けて幸せ者でした。あと、チケットが良番だったので、YouTubeに自分の後ろ頭が写っているのが、ああ・・・。と思いました。良かった途中でビール買いに行かなくて。

 

今回の楽曲のアレンジは究極の引き算な感じでしたね。私はあの「ベガ」のアレンジ好きです。あと、ダブルアンコールで演奏された「しんしんしん」。最高。

【追記】アーカイブ終了。代わりに「しんしんしん」カバー

    この時代の音楽番組のMCってひたすら軽いですよね、余韻台無しや。


キセル|しんしんしん

 セットリスト 1. ビューティフルディ 2. 町医者 3. 富士と夕闇 4. 山をくだる 5. 火の鳥 6. 夜間飛行 7. くちなしの丘 8. わたしの夢 9. Old Man 10. 君の犬 11. タワー 12. 夜の名前 13. ベガ 14. ひとつだけ変えた -アンコール- 1. 草葉の陰まで(新曲) 2. ハナレバナレ 3. 夕焼けの丘 -アンコール2- しんしんしん

https://www.instagram.com/p/BtsyDhVlmud/

 こんな告知もされましたが、本人たちから「今日の20時から受付」と言われた時、時計を見たらまもなくじゃん。でもこれからアンコールじゃん。「受付順か!抽選か!」と会場はざわつきました(多少)行けるかわかんないけどダブルアンコール後フロアの電気ついたら速攻で押さえましたね。(同じ行動をとる人多し。先行抽選受付でした)

野音キセル」は特別なんです。

 

4月にはHei Tanakaの(今度こそ)アルバム発売。

今年は楽しくなるに違いない。

ブログのタイトルとデザインを変えました

デフォルトのままでいたブログのタイトルを変えました。

タイトルは、スピッツの「けもの道」から。


けもの道 Spitz

「身バレ」してしまいそうになったのが一番大きな要因ですが、(あんまり職業的に良くないのです)

ブログタイトルに「風情がないな・・・」と、個人の日記でしかないようなブログでも、自分自身がそう思っていたので、変えました。

よろしくお願いします。初心者バリバリのデザインですが。

2019年始まり。

2019年、平成最後の!と連呼される年が始まりました。

私は、病気休暇取得中だったこともあり、暮れも正月も同じペースで過ごしていたもので、「新年」という気持ちにはならないのですが。仕事は「年度」で動いていますからまだまだですしね。

 

でも、今年はゲンをかついで「初売り」にひっそり参戦してきました。閉店間際のひそやかな買い物。足元を固められたらいいな。良い見通しが持てればいいな。

ということで。

1 Dr.Martinのショートブーツ

チェリーレッドの8ホールブーツは持っているのですが、そういうコーディネートがだんだん似合わなくなってしまいました。加齢とともに・・・(涙)

レディースサイズを購入したら、メンズのものより少し丸っこい形。

パンツでもスカートでも合わせやすそうです。

定価より少しオフで購入。まだ革が硬いので、一年かけて馴染ませたいと思います。

 

2 新しいメガネ

金沢は鯖江産のメガネ。金子眼鏡 KANEKO OPTICAL で購入しました。

同じお店で買った、廉価版の眼鏡をかれこれ7年使い続けてきたのですが、さすがに金具等が劣化して、細かな調整がきかなくなっていたところ、夏頃に「鯖江の職人さん手作り眼鏡」に出会って一目惚れ。その時は値段が前の眼鏡の倍近くだったので見送っていたのですが、それ以来、眼鏡の品番を書いていただいた店員さんの名刺をお財布に忍ばせたままでいるほど、ずっと気になっていたのです。

 

それが、「仙台初売り」ではもう常識!の「眼鏡三割増し商品券」で三割オフ。(仙台の老舗眼鏡店が始めた恒例行事なのです)

しかも、同じ型番の眼鏡は私が見たあとすぐに売り切れたのだけど(少数生産なので)12月に再入荷したばかりなんです、という店員さんのお話だったので、これは運命でしょう、と購入。茶色の縁のまあるいフレーム。

https://www.instagram.com/p/Bs2lYUCl2ga/

https://www.instagram.com/p/Bs2m1uTlzr8/

手彫りの彫刻。軽い素材に装飾が施せるのは限られた職人さんなんですよ、ということでした。以前の眼鏡より断然軽いです。

歴代眼鏡集。

https://www.instagram.com/p/Bs2lljZlVBE/

上から、非常用のディスカウント店のメガネ、以前使っていたメガネ、今回購入したメガネ。一番レンズが大きいのに、一番軽いんです。我ながら良い買い物ができた。

私の眼鏡人生で一番の大物になります。すでにもう馴染んでいる感じがするので、また長いお付き合いをしたいと思います。

 

2018年は、頑張り通せたけどなかなかに試練の年でした。

今年は、心が豊かになることができる年になりますように。

 

通院も終えましたがいつも通りです。

うつ病の方は、ゆっくりゆっくり付き合っていきます。