asagitti's blog

うつを,くらしを,音楽を,ファッションを,ゆるり,ゆるりと。あと猫。

8月も地元の病院へ。

無事秋田の主治医が退院なされて診察を開始されたのだが、

今月も地元の病院へ。

 

自立支援医療の手帳の医療機関をまた書き換えに行く時間がなかったのと、わたしの仕事が複数立て込んでしまっているのと、体調がいまいちなのと、あと台風と。

投薬は同じにしてもらい、今後は地元の病院と秋田の病院を行き来する可能性もあるのではないかと考え、一応紹介状を秋田でもらってこようか、と思案中。

 

しかし今はお盆。秋田は祭りが目白押しだし、わたしは相変わらず仕事おわりの目処がたたないので、秋田に行けるのは来月になるのかもしれない。

 

昨日、今日は台風がゆっくりと通過して行く最中、体調が目まぐるしく変わって大変だった。

体重は相変わらず減っている。減ってはいるんだけども、病前の時のベスト体重に近いくらいになっているし、でも極期の痩せ細った時とはちょっと様子が違う気もするし、あまり悲観はしていない。

今年度は悲しいことに人間関係の悩みが絶えない環境で、今後仕事の責任度と折り重なりが数ヶ月続く状況になるので楽観はしないけど。

 

そんな8月なのでした。

 

 

今月の通院は地元で

主治医急病につき、今月は地元の病院へ。

 

精神科専門の大きな病院なのですが、私が仕事で泊を伴う出張にあたり、

どうしても地元の病院の担当医の診察の日に通院できなかったら、

出張の前日に、診察の日ではないのに特別に診て頂けることになりました。

とてもありがたい。

処方は変わらず。というか変えず。

 

私は精神科を受診する際、医療費が自立支援医療の対象となっているので、

受診する医療機関が変わると、その医療機関を市役所に行って書き換えてもらってから通院します。

ところが、今回は、なぜか記載の有効期限が間違っているという痛恨のミス。病院に向かう途中で市役所の担当者から電話がきたのですが遅い。

 

いつもならこういう「想定外」にはアワアワしてしまうのですが、

疲れているからか、少し大人になったのか(それはない)

市役所の人に「困るんですけど」と言った程度で(大人ではないな)

怒る気力はないのでした。

 

さあ、泊を伴う出張が終わったら、ここからしばらく個人でコツコツカツカツ書き物をする仕事に入ります。思考力が今あまり良い状況ではないので心配は尽きませんがなんとかやって行きます。

 

このブログはスコティッシュフォールドの記事を見にきてくださる方が多いようです。

うつ病の話が多くてすまないなあ。

スコは、私の体力が少し回復したら採血に行ってきます。

あれはあれで体力仕事ですからねえ。

 

 

6月の秋田定期通院終えてました

先日、秋田へ定期通院に行っておりました。

一週間前。

梅雨空の仙台を出発して車を走らせたら、心地よい晴天の秋田でした。

湿度がほどよい夜風。こういう天気がいいな。

 

なぜブログを更新できなかったかというと、秋田に着くと同時に風邪ひいてました。

昨晩はいい気分だったのに、

秋田のホテルで起床したら頭痛、喉の痛み、体の節々の痛み。

あー風邪引いちまった。

周囲でガラガラ声の咳してた人いたな(マスクしろー)あと過労だな

でもこれから通院ということからある意味便利?

 

うつ病の薬は変わらず、風邪薬をいただいて、服用してから仙台まで運転。

体の節々の痛みが強まり、徐々に微熱もきたなあという中の運転は難儀でした・・・。

 

あれから一週間。早期対応で劇的悪化はしないけど治んないな。

咳は喘息に移行。

自然治癒力の低下を感じております。

5月秋田定期通院。豪雨の秋田へ

秋田への定期通院に行ってきました。

主治医、無事退院。翌日から診察。ダメよ無理したら。

でも顔を見に行ってきました。

 

あらかじめ雨が降ることは予想されていたので、数時間の有給を取り早めに出発しましたが、「記録史上最多の降雨」ということで、予想を超えた旅となりました・・・。

 

東北道はずっと曇り空。「あら結構寒いな」なんて思っていましたが、

秋田道に入るや天候激変。横殴りの雨ではなく、単純に降水量が多すぎて80メートル先を行く先行車すらよく見えない。のに、北上あたりのトンネルで工事片側通行のため15分待ち。その間にもどんどん強まる雨。山道では霧も発生。

路面状況も良くないので、対向車が撥ねた大量の水たまりの水が、フロントガラス前面を覆い視界ゼロになった時は死ぬかと思いました。制限速度大事。

 

なんとか暗くなる前に着きたい。との一心で車を走らせていましたが、この間大雨警報洪水警報河川氾濫情報まで出ていたとはつゆ知らず。

 

秋田南IC以北はとうとう「災害通行止め」に。

本来降りたいのは次のインターでしたが、

秋田市に入ったからいいかーなんとかなるっしょー」と簡単に思っていたら、その後が苦難でありました。

 

(よく考えれば分かるのに!高速が止まるくらいの豪雨ならば、下道は急を要する事態になっているのは当たり前じゃないか!(翌日思い至った))

 

道は大渋滞。(秋田ではあまり見ないレベル)

そこで、私のカーナビ君が何度も「渋滞情報が更新されました。新しいルートを案内します」というので、素直な私はそれに従ったら、それまた甘い判断でした。

行く道、行く道、ことごとく通行止めになっているのです。

合羽を着たおじさんが、カラーコーンの前で「 NO」と首を降っているのです。

迂回に迂回を繰り返していたら、生活道路にまで入り込んでしまい、マジで冠水している路面に出くわすこと数回。怖い。

 

(よく考えれば分かるのに!一つの道が著しく混んでいるということは、その道しか安全に通行できないってことじゃないか!)

のちのニュースを確認すると、ちょうど私が到着した前後に雄物川が氾濫していました。土地勘のないところで迂回ルートなんて通るべからず。

 

さすがの私も「やばい」と感じたため、かなりの時間をロスして秋田駅近くまでたどり着き、目についたコンビニへ。水と食べ物買っとこう。これはやばい。と思ったら、時すでに遅し。

パンとおにぎりの棚、空っぽ。

ああ。悪天候ではない、これは災害だ。ようやくことの重大さに気づく。

 

 

ホテルに着いたら、秋田新幹線こまちも止まった影響で、サラリーマン風の人たちで軽くごった返していました。宿泊場所が確保できなかった人もいるのではないでしょうか。

ホテルのテレビで情報を確認しようと思っても、どのチャンネルもキー局のどーでもいいバラエティなんかばっかりで、テロップでローカルな地名が連ねられた「避難準備情報」が流れているのみ。一体どこだ?

何もわからず、見通しも立たず、大変閉口いたしました。

NHKですら楽天の試合始めるし。画面の片隅で降水レーダーの画像見せられても「なんかすげえ」くらいしかわからないし。

東京で同じくらいの降水があったら大騒ぎでしょうに。

まとまった情報が得られたのは結局ツイッターでした。

道路、河川、土砂災害。それぞれ管轄が違う個々のサイトを見てもわからん。

悲しいかな、これがこの国の過疎地の現実。

 

本題の診察ですが。

昨年度末から、ずっと多忙感が続き、体調も下降傾向にあることをお話しし、少しだけ薬が増えました。後、薬が一包化に戻っちまいました。

体重の減少、食欲の後退に加えて、朝の倦怠感がどんどん強くなる一方で、今、目が覚めてからベッドをエイっと出るまでに1時間弱。体が動かないのです。

(倦怠感というと軽い感じに思えますが、うつの怠さや倦怠感は、体感で地球上の重力が5倍くらいに上昇した感じになります。息も苦しい。)

その代わり、夜はだんだん楽になってくるので、つい捗っていない仕事に手をつけてしまいます。そして悪循環は続く。少なくとも昨年の3月から、時間外勤務が2〜3時間、下手したらそれ以上、が常態化しています。よくいるダメなうつ病人です。

 

アドバイスは、「早く帰って、早く薬飲んで、早く寝ろ」。

頭のモーターが冷める時間を早くする。大事なのは夜の過ごし方、とのこと。

制御機能が壊れている私の脳は、ミニ四駆のモーター級の作りだなあと改めて痛感。

 

ただ、今はめちゃ忙しい時期、ポジション、なので、ちょっと仕事の進め方を考え直さなければいけません。いかに効率的にするか。そこらへん、最近甘く見てサボってた。

 

あとは、前回行った違う病院で診て頂いた先生の話を、「合う感じ」だとお話ししたら、主治医にこう言われました。

「俺がダメになったらその先生にお願いするから。よかったーーーなんだか箱入り娘がようやく嫁に行く感じだわーーー(安心感丸出し)」

私、そんな厄介な患者かい!心配かけまくりかい。まあそうだな。

 

主治医の病は続く。私の病も続く。それを多分お互いに受け入れているのでそんな「俺がダメになったら」「いやギリギリまでは秋田に来るから」なんて会話もできるんですが、そんな日が来ないことを祈りつつ、でもそんなひどい会話もするのです。

 

主治医曰く、そんな淡白な会話ができるのもうつ病の患者の特徴で、客観的に見て興味深いそうです。他疾患の方は結構突っ込んで確認したりするそうですよ。

うつ病の人、自分のことでいっぱいいっぱいになっているからかしら」とのことで。

まーーね、心配していないことはないんですが!

当事者としてわからないこともないわ。うつ病の人は、生きる上で、いかに「心を動かさないか」ということに重きをおいて進んでいるような気がします。なかなかうまくはいかないですけどね。

 

帰りは、行きの教訓を胸に!!ちゃんと直前までネットで道路情報を確認し!国道目指して走り!無事に帰宅です。

 

次はまた来月に。

 

アベフトシ。

命日でもなく、なんのメモリアルな年でもなく、でもずっと頭から離れないからアベのことを書く。

 

先日つんくがテレビで言ってた。「90年代後半、音楽業界はどんよりとしていて、バンドブームも終わって、時代も閉塞感があって」と。

 

アレ、ずいぶん私の記憶と違うな、と私の音楽史(笑)を紐解いてみたら、そこにはどーんとミッシェルガンエレファント がいた。

THEE MICHELLE GUN ELEPHANT

あれから、ずっとミッシェルを聴いている。

 

年がバレるけどもその頃私は大学生。お金はとにかくなかったけど

バイトしてはライブに行って、モッズスーツとマーチンに憧れた。

幸いにも(?)東京発の情報が仙台に届くのはタイムラグがあり、ほんの少しの間だけど小さなハコでミッシェルのライブを聴けた。すぐに前で聴いてたらモッシュで死にそうになるようになり、どんどんキャパも大きくなったけど。

(そうして仙台メッセだかワッセだかの、振動で照明落ちそうライブ中止事件も起こる)

 

私のミッシェルとの出会いは「ハイタイム」。のめり込んだのがやっぱりの「チキンゾンビーズ」。熱狂の「ギヤ・ブルーズ」。

私のミッシェルガンエレファントは、アベフトシのギターそのものだった。

ガリガリのカッティングとチョーキングとリフ。唯一無二のリズムギター。あのステージでの睨みと佇まい。仁王立ち、そして吠える。

だから、ミッシェルの音楽性が変わって行った、ロデオタンデムビートくらいに離れて行ったよくあるクチ。

今、落ち着いて聴いてみたら、それだけではないのにね。

 

でもミッシェルの解散は衝撃で(あるかもとは思っていたけど)「エレクトリックサーカス」が悲しくて。

 

そしてアベ逝去の報には言葉を失った。

 

今もネットにはアベの情報がある。「伝説のギタリストまとめ」「アベフトシ名言」

伝聞の伝聞のそれまた伝聞みたいなもんばかりで。

 

伝説なわけがあってたまるか。

確かに実在したギタリストじゃい。忘れられないバンドマンじゃい。

だが、後を継ぐ音を鳴らせる人は私はまだ知らない。

 

ミッシェルの終わり方も、その後の彼の身の振り方も、そして死に方も、いくらでも美化できそうなもんだけど、いちファンとしては、泥酔してコケて頭打ったとか、そういう間抜けなものであって欲しい。

 

ロッキングオンジャパンの、The Birthdayのインタビューでも(山崎洋一郎が、絶対故意に)アベの死についてチバ に投げかけたのに対して、(「アベくんだってもういないわけだし。いなくなるなんて思ってもみなかったのに」だったか)

チバが「うん……………あのバカ(笑)」と言っているように。(チバは何を思ったんだろうね)

 

もともと寡黙な上、音楽誌のインタビューでたまに喋っても嘘かホントかわかんないようなもんが多かったし、

実際のところは、残っているDVDや音源の彼のギターと対峙するしか術がない。

幕張のDVD(ファイナルのライブ)は辛くて今も買えない。

 

私の人生そのものはところどころ断絶しているんだけど、

好きな音楽を並べてみたらそれはそれは幸せなもので、雑食だけれどもリアルにたくさん聴けたのは自慢でしかない。みんなそういうもんかな。

 

懐古趣味に浸ってるんじゃなくて、真面目に思うんだ、今の時代、今だったら、アベさえ生きてたらもっかいミッシェル聴けたんじゃないかって。

 

頑固職人のようにバンドマンであることにこだわり、自分のギターはミッシェルだからこそいいんでしょう、ほかのバンドではダメでしょうと言い切り、事実そうであり(コオロギなんて最たるもの)

でもプレイスタイルは変えられずにギターを鳴らす居場所を探し続けたアベ。

もう少し時間があったら、もう少し自由にギター弾けたんじゃないのって。

 

死んじゃダメだって。

 

アベ追悼の企画はあれからもいくつもあったけど、一番愛を感じるのがこれ。

アベフトシ THEE MICHELLE GUN ELEPHANT (初版限定ポスター付き) (Guitar Magazine Special Feature Series)

アベフトシ THEE MICHELLE GUN ELEPHANT (初版限定ポスター付き) (Guitar Magazine Special Feature Series)

 

 ギター専門誌だからか、アベが真摯に答えている。

チバもアベの愛機持ってインタビューに応じているが、私はシナロケの鮎川さんのインタビューがぐっときた。チバがしょげてるくだり。

オタクとしてはね、機材やアベ自身の手がギターをグリップしているのをまじまじとみられることもありがたし。

 

奇しくもアベが死んだ年に私はうつ病を発症、いまに至る。(直接の因果関係はない念のため)

 

今、アベのギターはどんな音を鳴らし、どんなリズムを刻むんだろうね。

そんなことを思えるのも私が生きているからだ。

 

 

Hei祭りvol.2 Hei Tanaka/トクマルシューゴ2018/5/2@渋谷WWW

https://www.instagram.com/p/BiRR9EkAQfi/

ずっとライブに来たかった!Hei Tanakaのライブに行ってきました。

7インチシングル「やみよのさくせい」のレコ発ライブ。

ソノシート、カセットテープ、そしてやっと7インチ。やってくれるぜ。

 

入場列に並んでいたら、普通にドラムの池ちゃんが会場に入って行きました。

知り合いに声をかけられ、「○○という名前で入れてね」のお願いに二つ返事でオッケーしていました。お、大物感。入場したら、DJが本日の主役、田中馨なのも、すごく「らしい」。

 

トクマルシューゴは「Hei TanakaというのはHei Tanakaという概念の塊で、僕たちはその生贄です」とわけのわからないことを言っていましたが、わけがわからないようでわかるわかる。

トクマルシューゴのライブについても書きたいことはいっぱいありますが、「ゲスト」として田中馨が一曲トクマルバンドにベースを弾きにきただけで、バンドのグルーブがガツンと変りました。

大好きなベーシストだなあと改めて感じる。

 

そんなHei Tanakaのライブ。

前回見たときより、格段にバンドとして進化していて、楽しいったらなく。

楽しさの表現としては稚拙ながら、楽しいったら楽しいったら楽しいったらなく。

楽しすぎて泣けてくるライブでした。

こんなに心が動いたのはいつぶりだろう?

 

あだち麗三郎さんがバンマスっぽいことしてる?

楽器のセッティングの時、ドラムの調整もしていたな、さすが。

あと、なんとも形容しがたいあの衣装は一体何をイメージしているのか?

各々が原色の派手な色のジャージを着ていましたが、水平帽?なぜギターの牧野さんだけ、80年代アイドル風なのか?(おしゃれ?な柄シャツとなぜにオールバック)でもそんなことは置いといて、あれで体が動かないわけがない。そんな演奏でした。言葉にできないぜ。

「やみよのさくせい」では田中馨がヴォーカルをとっているのですが、もちろんベーシストが本業の彼は歌がうまいというわけではないのですが、(ごめんね)何か、たくさんの要素が絡み合って、彼の歌はダイレクトに心に響く。小鳥美術館のカバーも好きだな。

 

前回のライブでは、ベースラインを追って聴いていたような気がするのですが、今回のライブはバンドの音全部が身体に響きました。

後半は、「純主観シューターズ」を「もっと主観にする」とのことで、各メンバーイッテQみたいなカメラ頭に付けて演奏していました。

 

あれはどうなるんだろう。(私映ってませんように)


Hei Tanaka 純主観シューター(ズ)Vol.2 コテツ/小暮哲也

終わったら、爆音で耳が聴こえねえ。

もちろん7インチ買って。

むかーし断捨離したレコードプレイヤーを、この為に買うかもしれない。

持って帰ってくるとき少しクシャってなった。

https://www.instagram.com/p/BiTvTS-A3A2/ 

ライブ終わり。

田中さんにサインをもらいました。彼は、あんなにすごいベースを弾いて、ステージではネジが飛んだようになっているのに、(ごめん)必ずしっかり目を見て「ありがとうございます」と言ってくれる。

 

トクマルシューゴのあとのDJをしていた角張社長ともちょっとだけお話させてもらいました。

実は以前、カクバリズムの通販で、いつまでたっても商品が送られてこなーいトラブルがあり、「もういいどす(怒)」というメールを送ったら、通販担当者からは「わかりましたキャンセルですね」というメールがすらっと返ってきたのですが、

 

その夜私の携帯にいきなり角張社長自ら電話をかけてきてくださり、なぜか角張さんが怒っていて(笑)謝罪と商品はとってあることと、ことの経緯を説明してくれて、オマケどっさりつけて送ってくれたことがずっとありがたく、心に残っていて、そのお礼を機会があれば伝えたいと思っていたのです。が、

彼はいい感じに酔っ払っており、「あーあの頃は大変だったんすよーまーたご指導よろしくお願いしますーーーー」と例の語り口。(営業C調)伝わったかなあ。

心にずっとあったものを言えてよかったです。

キセルの友晴さんもライブ見にきてましたね。

ライブ後普通にベンチでおしゃべりしていましたが、そういう雰囲気もまるっと好きだなあカクバリズム。と思っております。

 

アフターパーティーはさすがに体調を考えていけなかったけど、

いい夜だった。 

今月はいつもとは違う病院へ。

主治医急病につき、今月は地元の違う病院へ行って来ました。

とは言っても、主治医がかつては勤務していた大きな精神科病院で、私にとっても入院したこともある馴染みのある病院です。

予約の電話を入れたら、主治医がもう先生を指定しており、問答無用で担当の先生が決まりました。

曰く、主治医は病床から非通知で直接担当の医師に連絡してくれたらしく、今日担当してくれた先生は「面倒見のいいことだねえ」とニヤリと言っておられました。

 

今回は、薬は変えず、できるだけそのままで。

昨年度末から、どうにも精神的負担が大きく、不眠や体重の減少、頭痛などの精神症状が出ているのですが、今回は抗不安薬などの投入は見送りました。

 

秋田のクリニックが再開したらすぐに行きます。

とは言っても今後は不透明です。

秋田のクリニックが再開しなければ、今回の病院は平日の診療しかしていないので、時間病気休暇の申請なども考えなくてはいけません。自立支援の申請も変えないと。

 

薬はできるだけどのままで、というのは、「抑肝散陳皮半夏」(漢方)がなく、「抑肝散」しかなかったのです。薬剤師のおじいさんに、「陳皮半夏」との違いは?と尋ねたら、「さあ、よくわかりません」と。薬剤師!!!Google先生の方がよっぽど為になるわ。

 

何より精神科のかかりつけ医に代わりなどおらず、私の病歴や投薬歴、思考の傾向、生育歴など全て把握しているのは秋田の主治医だけ。

人の代わりなんていないのですよね。

 

困難なことは、人にとっても自分にとっても同じ量。

頑張らないとなあとぼやきながら、朝イチの診察を終え、コーヒーを飲んで職場へ

とぼとぼ向かいました。また有給が減っていく。

 

絵に描いたように良くなるうつ病なんてないね、つくづくないね。