asagitti's blog

うつを,くらしを,音楽を,ファッションを,ゆるり,ゆるりと。あと猫。

紹介状と別れと

本日、秋田のクリニックに通院し、仙台の病院への紹介状をいただいてきました。

理由は二つあります。

 

一つ目は、今年度の職務がどうにも忙しくて、秋田への通院時間が確保できないこと。

二つ目は、人間ドックにて身体疾患が見つかり、そう急ぐものではないのですが、近いうちにオペが必要になりそうになったためです。

 

秋田の主治医には、東日本大震災の直後に出会いました。

 

忘れもしない、三月九日に初めてのうつ病による病気休暇から復帰。

勤務地は津波の直撃を受けた海のすぐそばの町でした。

復帰後、息つく間もなく避難所運営。勤務解除、帰宅許可が出たのは数日後でした。

 

私が当時通っていたクリニックも同じく浸水地区にありました。帰宅してすぐ、私は避難所運営をしていたときに切らしてしまったうつ病の薬を求めて、自転車でやみくもに仙台市内の病院を回りました。大きな総合病院を、3箇所か4箇所回りました。

 

大災害の中、精神科には医師はいない、とりあえず薬だけはある分だけを少し、という病院ばかり。その中で唯一、精神科で勤務していらしたのが、今の秋田の主治医でした。

 

この人なら大丈夫だ、なぜかすっとそう思えてからもう7年。ずっと私とうつ病の付き合いを支え導いていただきました。私のうつ病の根底にあったPTSDを見抜いてくださったのもこの方でした。

 

励まされ、支えられ、時に叱られ、叱咤激励され。

 

仕事にしがみつく生き方しかできなかった私に病気休暇を命じたり、有無を言わさず急性期病棟に入院するようにテキパキことを進めたりすることもあれば、

自暴自棄になっていることを見透かしたように、仕事を辞めるという私を制止し思い留まらせたこともありました。

 

7年。気がつけば少しずつ少しずつ、服用する薬は減っていきました。

この主治医と出会わなければ、今この世に私はいなかったでしょう。

 

本日紹介状をいただいた時、主治医は「娘を嫁に出す気持ちだ」と涙ぐまれていました。「元気でね、幸せにね。」と。

このような「親心」に触れたことのない私はびっくりして笑うことしかできなかったのですが、常に私の前では精神療法をなさる医師であった主治医が、ひとりの人間として私の前に立ったのは、7年間で初めてのことでした。

あまりのことに、お礼もうまく言えないまま、秋田を後にしました。

 

私は身体疾患が治ったらまた秋田に通うつもりですので、今生の別れとは思ってはいないのですが、人生というものは何があるかわからないものだから。

 

これから私は、仕事をしながら精神疾患と身体疾患に向き合う日々が始まります。

だけどなぜか晴れ晴れとした気持ちでいる。なんて不思議なことでしょうね。

 

怖がらないで  闇の向こうへ 手を伸ばす前のまわり道

すべての意味を 作り始める  あまりに青い空の下


けもの道 Spitz