手を伸ばす前のまわり道

うつ病のこと、猫のこと、大好きな音楽のことの雑記です。

スコティッシュフォールド 若葉の骨瘤 先天性骨軟骨異形成の治療について

先日,やっと若葉を動物病院に連れて行き,骨瘤が大きくなり出血した部分を診ていただきました。

 若葉が先天性骨軟骨異形成と診断されたのは0歳4ヶ月,かなり早い段階でした。

もう7年前のことになります。この時は受け入れることが辛かったのですが,

今は早い段階で私のところに来てくれてから判明して良かったと思っています。

asagitti.hateblo.jp

 少しずつ,骨瘤は大きくなり,

https://www.instagram.com/p/B4cfzOwlZqa/

この写真は昨年。今は,この部分の脱毛が倍くらいになり,とうとう出血するに至りました。

 

傷が化膿したり,また骨瘤が大きくなり,骨が皮膚を突き破る可能性もあることは,骨瘤の診断の時に写真を見せられて説明されていました。(今のかかりつけとは別の病院ですが)

その時には,「治療法はない」と説明されていたのですが

医学は7年の間に進歩していました。

 

若葉の骨瘤は進行性。これからの人生を考えると,最悪足の切断に至る場合もある。

 

この病気を根治することはできない。が,考えられる治療法は,

1 放射線による治療

2 メスで骨を切る外科的治療

のいずれかということです。

 

1 放射線治療は,数年の間骨瘤の進行を止めることはできる。でも,この「数年」が,若葉の年齢を考えると意味があるのではないか。しかし,できる動物病院は限られる。

また,若葉は極度のビビリ。不整脈もあるので,長期間ストレス下に置くこと(=入院)はお勧めしない。(飼い主も無理であろうなとおもう)

 

2 外科的治療は,受入先は多いとは思われる。でも,多くの場合,メスで骨を切ってもまた増えてくる。対症療法に過ぎない。

 

よって,放射線治療をやってみませんか,と獣医さんから提案されたので,

若葉が子猫の時からお世話になっている獣医さんがいうのならば!と,放射線治療の線で探ってみることにしました。

病院では,若葉の脚の様子をデジカメで撮っただけで終了。

あとは,色々な病院に当たっていただけるということです。ありがたや。

 

どんな治療にもリスクはあるでしょうが,若葉のかーちゃんとして,ちょっと頑張ってみようと思うのです。今,提示された病院は,青森と,神奈川。

このビビリ猫とどう旅をしようか,どのくらいの回数,どのくらいのスパンで通院するのか。

全くわかりませんが,連絡をいただけることを待ちたいと思います。

 

医学は進歩するのだな,すごいな,と改めて敬服。

 

今は。出血防止のため

 

https://www.instagram.com/p/CBflm6yltz8/

伸縮包帯で保護してます。

 

包帯は,きつくしないようにしてくださいね,と獣医さんからのアドバイス

きつくしてしまうと,血流が止まり,皮膚が薄くなってしまうとのこと。

https://www.instagram.com/p/CBk7R7rlrcT/

傷になった部分も平気で床について遊ぶし走るし跳ぶし,なのですが,

獣医さんによると,痛みはあるはずとのこと。

若葉の場合は,0歳に発症していますから,痛みに慣れてしまっているのではないかとのことでした。・・・確かに,子猫の頃,足を引きずるので痛み止めを処方されていたこともありました。それはそれでかわいそうになあ。

 

しばらくやめていたサプリメントも再開。

「アンチノール」というサプリです。

www.vetzpetz.jp

ごめんね,ずっと続けていればよかったね。

 

ということで,骨瘤の治療はじめます。

 

スコティッシュフォールド 若葉の骨瘤 若葉6歳10ヶ月

https://www.instagram.com/p/CAAm6eogSDZ/

箱好き猫・・・。

 

若葉もシニア猫になってきました。

先週頃から床に血がついているので気になっていたのですが,本日骨瘤で毛がハゲになっている部分から出血していることを確認しました。

ハゲになった部分の皮膚は,瘡蓋のように硬くなっていたのですが,皮膚が薄くなってしまってきたのかもしれません。これは,若葉の骨瘤の診断を受けた時にその可能性は説明されていたので,残念ですが受け止めるしかありません。抱っこして,ティッシュで圧迫して血を止めてからは,ご飯食べてお水飲んで猫ベッドでゴロゴロといつも通りですが,痛みはあるのでしょう・・・。

 

ドタドタ走っているので床に血のあとが派手についてびっくりする飼い主。

痛いからパニックになっていたのか,若葉が気づかないうちに飼い主がふっと洗面所へといなくなったのでドタドタしていたのかは不明なのですが(猫なのにこれは良くある・・・)

近日中に病院に行ってきます。

 

とは言っても,これと言った治療法もないでしょうし,包帯,猫靴下,全て暴れて却下する若葉なので気休めかもしれないのですが・・・。

若葉の骨瘤は,成猫になっても進行するタイプのようです。

 

また,関節のサプリメントを再開しようと思っています。

患部は痛々しいので,写真には撮らないでおきます。

病院に行ったらまたご報告します。

 

新しい病院へ,通院2回目。

新しい病院へ,2回目の通院に行ってきました。

結構距離があるのですが,今まで1日かけて秋田へ行っていたことを考えたら近いような。

医師もそこは気にかけていてくれて,「遠いよねえ。もっと近いところあればいいねえ」と2回も言われました。近所にはいくつか精神科や心療内科があるのですが,前の病院から紹介されたところからは,新患受付をしていない,と言われました。慢性的に精神科・心療内科が足りていない現状のようです。

 

私は秋田の主治医にお会いするまで2つの病院に行ったのですが,一つ目はどんどん悪化してしていってもずっと同じ投薬のまま。2つ目は今でも少し傷になっているのですが,恫喝のようなことをされました。言われたことは今でも覚えています。

というわけで,ドクターショッピングをすること自体に恐怖心を覚える私なので,しばらくは今の病院に行くと思います。私は甲状腺が良くないのですが,今度の病院では甲状腺の投薬と検査もしてもらえることになったのでありがたし,です。

 

4月から新しい職場になったのですが,何かとストレスフルなところです。

一年で戻れます。早く一年経ってしまえ。

コロナの影響で,「これができる,だから行こう」と思ったことがほぼ全てできなくなり,それでも辞令をいただいて居る職場なので,こういう思いをしてここに居る意味は?と考えるともう今すぐ脱走したくなります。仕事があるだけで有難いのでしょうが。

 

中でも,毎日数時間の会議があり,その修正を短時間でやってまた会議,と,いうことが5月半ばくらいまでずっと続いていました。追い込まれながらマルチタスクをこなし,注意力が低下してミスが出たものを提出,それを叱責されながらまた会議,という流れです。

チームで動く仕事なのですが,私はあっという間にここ数年なかったな,というくらいまで鬱の状態が悪化し,またチーム一人一人も追い込まれて一人一回は爆発したという状況。

もうダメかもなというとき,思い切って上司に状況を訴えてみました。

途中でドロップアウト(つまりは辞めるか病休か)する可能性があったためです。

そうしたら,この人ら追い込まれているな,と思ってくれている人が複数人おり,会議でも議題に挙がっていたとのことで,迅速に周囲に働き掛けを行ってくれました。

それで,毎日の会議がなくなり,追い込まれるような状況も改善してきて,私の体調も少し持ち堪えております。

来週からまた,マルチタスクが始まるような予感はするのですが,どうなるか。

 

ただ,自分から「これでは持ちません」と訴えることは以前はできなかったと思うのです。

少しは成長したでしょうか・・・。

 

今は,土日はほぼ家から出ることができなくなってます。疲れ果ててしまう感じ。

ステイホーム上等です。

ウーバーイーツ大活躍です。ちょっと支度して出る,というその「ちょっと」にハードルがある人間にとっては有難いサービスです。配達員さんありがとう。

コロナ渦とトランペッターのテレワーク

コロナ渦。変な言葉ができてしまったなあと思うのですが,世間も,私の周りでも悲しいことが立て続けに起こってしまっています。先も見えません。危険を冒してまで電車に乗る意味も,今仕事としてやっていることの意味もわかりません。目的はあったはずなのですが,この状況でできるわけがないのに,できる前提で立てる数々の計画。誰のための?本当に渦に巻き込まれてしまったかの如く。

 

楽しみにしていたライブも次々と中止や延期になってしまっています。

私が好きなインディーズレーベル界隈の,プロモーションより露出より何より質の高いライブで音楽を届けてくれていたミュージシャンに何かしたくても何もできなくてただ呆然とする日々です。

それでも日々は続けていかなくてはいけない。生きているから。

そんなことばかり思っています。


JUST ONE WORLD ~希望へのファンファーレver.~ 2020テレワーク

 

こちらの「ファンファーレ」同世代のトランペッターたちのテレワークだそうです。

元気が出ます。早く生音が聞けるといいな。

 

追記

正しくはコロナ

だそうです災という意味ですね

訂正マンとやらにご指摘いただきました

私の中では渦でしかないので追記程度に留めときます

新しい病院に行ってきました。

転院先の病院に行ってきました。

ふたつ紹介されまして,自宅から近い病院もあったのですが,そちらは新患数ヶ月待ちの状況から,近隣の心療内科が閉院したことにより,完全にパンク,新患は受け入れていないとのこと。どうも仙台は精神科・心療内科が足りていない状況とのことです。

車で40分くらいの心療内科へ。

仙台の主治医の紹介でしたが,秋田の病院から着払いで送ってもらった「診療情報提供書」(主治医がもう亡くなっているので,紹介状ではないのです)をそのままもっていきました。

厳封されてたのでもちろん中身は見ずに持っていったのですが,封筒の中にはカルテの写し全部,障害者手帳用の診断書,障害者年金を受けようと思ったときの診断書,とにかく全てが入っていました。

 

私,主治医がお亡くなりになったことを知った時,事務さんに「カルテの写しをもらえないか」と頼んで,断られていたんですよね。主治医は東日本大震災の教訓から紙カルテにこだわり,それを問診しながら患者の目の前で書くスタイルだったので(隠して書いてたこともあったけど)それがあれば安心すると思って頼んだのですが,

事務さん,閉院の準備やら患者の対応やらでそれどころじゃない。

開示請求に応じる人もいない。(主治医の命日をもって閉院となっていました)

 

ところが,「診療情報提供書」にはその全てが入っていました。

これは,主治医がやったんですな。と思いました。

託すつもりでやったんだなと思いました。

最期の入院は一月のお正月休み明けてすぐ。

その直前に,正月休み中に主治医がクリニックに来ていた様子はあったんですが,

もしかしたら,自分ではわかっていたのかもしれません。

 

あとでちょっと泣きましたよね。

 

新しい病院,今の処方から変えないで欲しい,と頼んだらそのようにしてくれて,

悪い印象はなかったので,ここに通うかもしれません。期間はわからないけど。

 

今ちょっと体調を崩してます。

昼間でも抑うつが度々酷くなるのと,思考ができなくなることが結構あることと,

頭痛や食欲不振が出ています。

 

今年から勤務先と仕事内容が一年限定でガラリと変わり。

困ったときの主治医はもういないし,

チームでコミュニケーションを取り共同して研究するのが今の主な仕事なので

うつで全く自分が使い物にならないことがあります。

環境の変化,信頼する人の死,何だか不安や怒りが渦巻く社会情勢,こんな状況だから悪化は仕方ないなと思いつつ,自分でコントロールできないところまでの悪化が心から怖い。

どこかで言ったかもしれないけど,脳には勝てない。

工夫とか気分転換とか,そう言うのは次元の違う話で。

そんな毎日です。

チームにさっさとカミングアウトしたいのですが,まだ出会って間も無い人に話すには少々配慮が必要かと思われるので,抑うつバリバリの時は「感じ悪いなあ」と思われているかもね。

 

うつの,特に難治性の精神障害のカミングアウトに対する反応は実に様々ですが,相手に不安や負担を与えるのは確か。

 

何で私こんな時に共同研究に参加したんだろう。

一人で論文書くんだったらこんなに苦しくなかった。

 

今は弱音しか吐けないですけど,そのうち楽しい話をしたいものですね。

人の死は等しく

人は必ず死ぬ。当たり前のことで,等しくやってくる。

私の主治医はがんだった。術後6年を経て亡くなったが,「5年生存率」って言うものにあっかんべーをしてから亡くなった。そんな気がする。

緩和ケアと抗がん剤の投与を繰り返し,抗がん剤投与のために入院したら,ひょっこりクリニックに復活して診察をする。医者の不養生。ある意味臨床クレイジー

彼は,精神科医の身でありながらうつ病で休職した経験があり(それは本になっているが,文体が独特なので誤読する人もいる)いろんな意味で,異色の医者だった。そして開業したら,まもなくがんが見つかった。ご家族の苦労が忍ばれるし,術後,抗がん剤の投与から敗血症をはじめ様々な病を抱え,耳が聞こえなくなり,目眩で車椅子になり,それでも最新型補聴器をつけて奥様の送迎でクリニックに来る。命を削って医者をやっていた人だった。やっぱりクレイジーよね。

最期は,インフルエンザから間質性肺炎を起こし,2ヶ月も経たず亡くなってしまった。

ご本人も本意ではなかっただろう。

 

人は必ず死ぬ。有名人であろうとも,名もなき市井の人であろうとも。

 

今はコロナウイルスで多くの人があっという間に亡くなっている。

私はわからない。知り合いでもないのに「涙が止まりません」と盛んに言われる人と,どこかでひっそり亡くなっている人の違いが。名前で報じられると泣くのに数字で報じられた人は泣いてもらえないことが。

 

そんなこんなで,私の主治医は,自分の病状をオープンにしていたので,どこかで心の準備はしていたはずだったのに,私は大きく取り乱してしまった。

でも生きなければいけないのだ,私は。なぜなら,主治医に生かされた命だから。

これがきっかけまた希死念慮を抱こうもんなら,あの世で怒られまくる。

いつだか亡き主治医に言われたことがある。

「生活することに没頭するのもいいんじゃないの,たまには。」

どんな状況で言われたのか覚えていないんだけど,その言葉が頭に浮かんで,ここ数日私は生活することに没頭した。

食べて,人と話して,仕事して,笑って,ご飯食べて,薬飲んで寝る。

お腹も空いたし睡魔もちゃんときた。少々早朝覚醒があるのはご愛敬。

そんで休日ぼーっとしてたら,不意に主治医の声が思い出された。

声,たたずまい,雰囲気,温度。

その時に改めて私の中に染み込んだ。主治医は死んでしまった。もういないのだと。

私は悲しいんだと。

 

難治性の精神疾患を抱えている人にとって,主治医は命綱。

自分のうつ病の悪化がものすごく怖かったんだけど,違う,それ以上に,

私は悲しいんだと。

 

ここで,「なぜ私が生きて彼は死ぬのか」と絶望に向かって超特急になるのが今までの私。

でも,今はちがう。私は生きる。

 

今日,主治医が「仙台で診てもらうならこの先生じゃなきゃダメ」と言われた仙台の主治医に転院先を相談してきた。

私,2020/04/01より,一年限りで今までとは全く違う環境で違う仕事をする。

 

土曜診療の病院しか通えないので,その先生が信頼できると言うクリニックを紹介してもらった。「何で今死ぬんだろうね,ひどいよね」なんて主治医の悪口を言いながら。

四十九日も迎えていないから,どこかでこの会話を聞いて苦笑いしてたでしょうね。

 

私は,今まで一度だけ仕事を辞めようとしたことがある。

大抵は,「働く!」と言っても「ダメ,休職,命令」と言う主治医だったんだけど,その時は「辞めるな」と言った。私は障害者雇用の枠で年金もらいながら暮らすつもりで,年金用の診断書も書いてもらったんだけど,「ダメ,辞めるな」と言われた。ので,出すつもりだった診断書が私の手元にある。今思えば,私は何となく生活を縮小して死に支度が頭の中にあったのだが,見事にお見通しだったのだと思う。

主治医が「あなたは見ない方が良いよ」と言うので律儀に中身は見なかったのだが,

訃報を聞いて,思い出して引っ張り出してみた。

びっしりと書いてあった。私の生育歴から病歴まで全部。私がわかってなかったことまで全部書いてあった。

こんなにわかってくれる人には二度と会えないと思う。

仙台の医師は,これは形見だからとっときなさい,と言った。

それにしても細かいね,こんな変な医者はなかなかいないけどねえなんて言いながら。

 

転院候補先の予約も取れたので,とりあえず行ってきます。

合わなかったら戻ってきなさいよ,なんて言ってもらえたから,多分大丈夫だろう。

 

人の死は等しく。誰しも死ぬ。何とありふれた当たり前のことか。

でも,悲しい。死ぬと言うのは,その人の温度が,一つ世界から消えることだ。

消えたら戻らない温度をみんな持っている。

 

明日からは全く違うところで全く違う仕事をします。

環境の変化がある時に死んじゃったことはちょっとうらめしく思ってるからね。

自分で「良いんじゃない」って勧めたのにさ。だから,見ててよね。

 

Hang in there Body clap your hands

Hang in there Body put your hands in Air!

Hang in there Body clap your hands

Hang in there Body put your hands in Air!


Dragon Ash 陽はまたのぼりくりかえす

 

 

 

 

わたしの主治医が亡くなってしまった。

わたしの主治医が亡くなってしまった。

葬儀は昨日だった。コロナウイルスのバタバタと仕事のバタバタ,自分の転勤のバタバタに塗れて,ちゃんと情報をチェックしていなかった。

お彼岸のお昼に旅立たれた。空は晴れていただろうか。

 

精神科医は,いや誰でもそうだけど,

でも精神科医の代わりなんていない。

わたしのうつ病が,生育歴からのPTSD由来であることを見抜き,10年近くに渡り,宮城で,秋田で,場を変えても私を死の淵から生きることへ引き上げてくれた。

 

私は,あの時,死ぬことが前提で生きていたので,1ヶ月先の予定も入れなかったのだ。自分で自分がいつ死ぬかわからないと本当に思っていたから。

私が自分のことを大切だと思っていなかった,生き方そのものが自傷行為だった,ことにも自分では気付けなかったのに,そのことも見抜いてくれた。生きていていいと思わせてくれた。

 

10年経った今は,スキルアップのために研究への道に足を踏み入れることができるようになったくらい,回復したんだ。

変わった私を見て欲しかったんだ。

まだ途中だったんだ。

死ぬなんてひどいじゃないか。

今死んじゃうなんて,ひどいじゃないか。

 

明日はちゃんと笑って仕事するから。だから少し泣くけど,

先生が死んだせいで私まで死なないように頑張るから。

私のうつは,後は自分で何とかせいって言うでしょう。

だから,何とかするから,でも少し,まだ天国にはいないんだろうから

まだ少し,力を貸してください。

 

私の親より,誰より,私を理解して導いてくださった。

誰よりも信頼していた。

でもいつか別れるのは知っていた。私は患者だから。

でも,突然すぎるから言いたかったことをたくさん溜めていたんだよ。

この気持ちをどこに投げればいいのかわからないからブログに書いたんだ。

葬儀には行かなくてよかったんだと思う。行かなくても伝わるでしょう。

 

私が秋田に通院することは,もう,なくなりました。

 

先生,さようなら。

励ましてくれたこと,怒られたこと,力を貸してくれたこと,閉鎖病棟に入れたれたこと,言い聞かせてくれたこと,白衣姿,白衣じゃない姿,書いた本,ブラックジョーク,忘れないから。

さようなら。

さようなら。