手を伸ばす前のまわり道

うつ病のこと、猫のこと、大好きな音楽のことの雑記です。

マイノリティとして

サカナクションの山口一郎さんの言葉。

僕はね……10年後は結婚していないね、多分。やっぱりリアリティないもんね。僕ね、不思議なんだけど……恋愛のマイノリティっているじゃないですか。LGBTの人たちとか。そういう人たちに対して僕は普通の事だし素晴らしい事だと思うけど、マイノリティじゃないけどマイノリティな人たちっているじゃん。男性で女性が好きっていうストレートの人たちの中でのマイノリティ……例えば、付き合っているけど結婚しないとか、子供を作らないとか。それに対する理解力ってあんまりないなって。

 

マイノリティじゃないけどマイノリティな人。私自身もこれに悉く当てはまるなあと思った言葉。

もちろん、サカナクション山口は自分が「マイノリティであること」を自覚しながら、狭間に立って「マジョリティに音楽を届ける」という意思を持った才能溢れる方なので私なんぞとは一緒にできないけど

私も「結婚」や「家族」に対してのリアリティが全くなくて、

 

就職氷河期の時代に「何が何でも希望の職種で正規採用されるまでは結婚しない」なんて言ってたら、相手の家族公認で年越しは相手の実家で過ごし、結婚したらご自宅を譲り受ける話まであった付き合いの相手は7年くらいで浮気してどっか行っちゃったし(笑)              でもあの人と結婚しなくて本当に良かった(笑)

 

その後も子供が欲しい、家族が欲しい、なんて本当に微塵も思ったことはなく、でも仕事上関わりを持った人に対しては全力で何ができるか考える、そんないびつな人間になってしまった。友達の幸せは「良かったなあ」と思うけど、自分のこととして考えたことはない。

 

なんでだろう。それは病気になる前からそうだった。私はそれで不足がないのだ、本当に。まあ、エアコン壊れたりしたら少し力仕事できる人欲しいなあくらいで。

 

他人と必要に応じて離れられないほど距離を縮めることが、苦手なのだ。

 

それは、多分私の家族が機能不全だったことが大きいのかもしれない。

 

それでも、私の根っこを作った温かいものを無償で注いでくれたのは、北海道で途中で断ち切られてしまったが、たくさんの時間を過ごしたばあちゃんであって。だから私生きてるよ。ばあちゃんに会いたい。

 

父親は絶えず暴力を振るう人だった。今思えば学歴コンプレックスと歪んだプライドの塊だったのだろう。

殴る、物で顔殴る、(流血)蹴る、裸足で真冬に外に追い出す(凍死します。ばあちゃんが迎えに来てくれた)何かの罰として正坐を長時間強いる、「ぶさいく」「怠け者」「いなくていい」「お前は信用できない」「暴力団」(やはりあの頃の私はキレやすかった)「馬鹿」「頭が悪い」怒鳴られながら勉強を数時間」強いられる、財布から金抜かれる、大学の受験日の直前に難癖つけて家を追い出される(滑り止めの滑り止めだが落ちた)・・子供の頃から大学生までです。大学生の時夜逃げしました。もういいすかね・・・

その父は、私が、努力して努力して悲願の採用試験に合格した年、自死しました。正確には、死亡日死因不明くらいの時間を経て見つかったらしいですけど。

葬式は私の仕事の事務手続きの日でした。いきません。最後まで、毒でした。死んでくれて安心しかないです。

 

つい先日、母と袂を分かちました。かなりきついことを言いましたが、母は母で「言われたこと」に腹を立てることはあっても、私のうつ病は理解しようとも分かろうとも調べようともしない人だと分かっているので想定内だったのです。私は、勝手に「長女」を演じすぎました。

小さなきっかけは、ちょうど母の車が10万キロを超え、11年経過し、そろそろ動作が怪しくなったので危ないなと思って私の車を格安で譲ったんです。

当初予定はしてなかったので、積み立て崩しましたよね。

年度末から年度始めの心が揺れて揺れて、朝起きることに數十分かけ早朝覚醒も頻繁、食事もあまり取れない状態の私は、でも手続きで奔走しました。(新車が楽しみだったのは事実w)

名義変更まで終えました。最短です。そうしたら「譲った車に取説がない(捨てたんす私)」ことに腹を立てて文句を繰り返し言い、私の担当営業に電話をかけると言い出し、PDFのダウンロードの話にも耳を欠かさず、果ては「取説がないなんて呆れる」とメールをよこす。

そこで私の何かがプチっと終わったんです。

 

その一連のやり取りで体調を大きく崩しました。今、面談業務の最中なので、情緒を保つことに全力を注ぐべき時期なのです。苦労しました、悪夢と、朝体が動かなくて。

母は元同業者なので、少し考えればわかるはずなんです。まああのかたは恵まれた世代なので見ているものは随分違っているとは思いますが、分かろうとすることは、あの人はできないんです。しないんです。耳を貸せないんです。老人性頑固も相まって。

 

そこで気づいたんです。あれ、些細なことだけど根が深いぞ。

 

私、根本的に母のことを許してないんだなって。

 

母自身は、自分を被害者だと思っていると思うんです。私たちの学費を出す苦労もあったでしょう。

 

でも、私が殴られてた時、蹴られた時、お菓子の缶で顔面を殴られたとき、正座で怒鳴られながら算数をしていたとき、怠け者と罵られていたとき、母は助けてはくれなかった。傍観。傍観、傍観。助けてくれなかった。

「言っても無駄だから仕方なかった」と。

 

仙台に来てからは、私に鬱憤をぶつけるのように辛く当たることもしばしば。

ある程度の歳になってからは私は愚痴の聞き役でした。離婚、暴力、不法侵入、親戚トラブル、金銭トラブル、介入していくこともありました。

長女気質。

 

ぐたらぐたらと書きましたが、思えたんです。

もういい加減、いい年だから、と思ってここ数年関わってきた母ですが、今の私には毒にしかならない。

 

しばらく縁を切ります。

今の私は、もう毒を捨てていいのではないか。

 

母は理解できないでしょう。ずっとできないでしょう。投げられた言葉に怒っているだけでしょう。分かろうとも思わないでしょう。

私のうつ病を一気に悪化させるもの。肉親であろうが、今要らない。

 

そう割り切ってから、少し肩の荷が降りました。

 

私は病気を治す。悪化させられてたまるものか。

 

いつか叶うように と どの面下げて言うんだろう 


RIJF2006-grapevine.everyman everywhere